【番外】「15の夜」、17歳当時、そして今

今回は番外編です。完全に個人的な話となりますので、興味のない方はスルーしてください。

尾崎豊さんの「15の夜」は多くの方がご存じかと思います。10代のカリスマであった彼の熱い魂の叫びに共感した人も多かったと思います。しかし自分自身は共感できずにいました。そしていま30代後半で40代にさしかかり、その心境は変わらないと思っていました。

ところが、先日、会社の同僚がカラオケで熱唱していたのを聞いて、「熱いなぁ」なんて思っていましたが、どうもその後やけに気になってYoutubeで繰り返し聞いてみました。そして自分でもカラオケで歌ってみたところ、どうやら心境の変化が起こっていることに気づきました。そしてCDを借り、何度も聞いているうちに、どうもこれは受け止めなければならないと思うようになりました。

このブログを見て頂いている方はご存じのことと思いますが、私は高校を出ていません。もっとも当時の大学入学資格検定、いわゆる大検を通過し大学に入って卒業(しかも2つ)しているので、若干その後の行動が違いますが、極端に言ってしまえば「15の夜」を地でいって、学校という支配からの「卒業」をしているわけです。ところが、どうも大人やら社会やらに対する反抗心と言いますか、そういうところが相容れなかった部分がありました。「卒業」についても、そういった社会、大人からの支配の卒業というところはどうも違うという感覚がありました。不満はあれど、外に向けて爆発させるのではない。自分自身の内でどう解決していくかだという認識でした。

しかし、いまそれなりの人生経験を積んで冷静に聞いてみると、当時は言葉の過激さに違和感があっただけで、その言葉の奥に潜むものが見えてきている気がします。あくまで自分なりの解釈ですが、普通の若者、といっても「当時の」と但し書きをつけた方が正解なのかもしれませんが、彼らが感じていたもの、そしてその答えを見つけられなかったものに対して尾崎豊さんはストレートに表現しながらも、その真実をうまく表現できていたのではないかと今更ながら思うわけです。そういったところに、共感しつつある自分があります。

とはいえ、すでに家庭を持つ身でもあり、「15の夜」を地でいくわけにもいかないというのが現実でしょう。しかし、その精神は持っておきたい、あの頃の直球勝負の部分はこの年齢で、もがき苦しみながらも保っておきたいというところは改めて心に誓った次第です。

実はこのエントリーは3ヶ月くらい前から書いていたのですが、なかなか自分の中でも記事にするだけの確信がなかったのです。しかし、この年始で朝日新聞の社説で尾崎さんに触れたものがネットで話題になったので、思い切って公開した次第です。

中途半端な文章になっていしまいましが、まずは記録として残したいと思います。

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