【番外】アイルトン・セナ

連休前だからといって、飲んだくれて帰ってくるばかりではありません。飲む相手がいなく、節制のために早めに帰宅して、Amazonプライムの映画を鑑賞しました。狙いはロバート・デ・ニーロの「タクシードライバー」で、実際に観たものの、あまり手応えがありませんでした。20年以上前に観た記憶があるのですが、ストーリーをまったく覚えていなかったことからして、当時もさほど刺さらなかったのでしょう。

ダラダラと新着映画を眺めていたら、以前にも観た「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」がありました。これはセナのドキュメンタリーで、最後はやはり衝撃的な内容でした。あまり意識してなかったのですが、5月1日はセナの命日。それにあわせて、アップされたのかと思います。

もうあれから22年ですか。当時は地上波でもF1を放送していたので、毎回観ていました。セナ自体は推しメンではなかったのですが、当時は必ず彼が絡んでいて、成績的にも無視できない存在でありました。やはりセナと言えばプロスト。映像をみて、お互い激しく罵り合っていたんだなと改めて感じました。でも最後は心打ち解け合うのですが、その直後にセナが事故死。まったく人生わからんもんです。

当時の私は法政大学の2年生。二十歳でした。今でも衝撃を受けたのを覚えています。

セナが亡くなったサンマリノGPは、予選で同郷ブラジルのバリチェロが大クラッシュ。彼は幸運にも怪我ひとつなかったのですが、翌日の予選でラッツェンバーガーが事故死。この時点で呪われたグランプリだったのかもしれません。

その後、しばらくシューマッハーの天下が続き、その後はマシンの性能でチャンピオンシップが決まるような状況が続いているようで、そういった意味では、セナの死が分水嶺であったのかもしれません。セナが生きていれば、シューマッハーとのバトルはかなり熱かったのかと思いますが、図らずもシューマッハーの無敵時代が長く続いてしまったのはF1の不運でした。そのシューマッハーも、スキーの事故でここ数年、生きるか死ぬかをさまよっているのは巡り合わせでしょうか。

とにもかくにも、あれから22年。セナの死に際して、彼のストイックな姿勢を見習わなければならないと誓った自分と、今の自分のギャップは情けない限りです。この連休でその思いを思い出さなければなりません。

それでは。

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